2009年9月17日論文採択通知

2009年9月17日論文採択通知

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 キュリー研を去る直前に、ようやくここで数年に渡り遂行してきた研究成果をまとめた論文が米国科学アカデミー紀要(PNAS)に採択されたという連絡を受けた。2005年から2006年にかけての1度目のキュリー研滞在時に実験系の開発から生物実験のプロトコルの立案まで、厳しいけれども創造的なチャレンジを、自分の采配でさせてもらう稀有な機会に恵まれた。回転型磁気ピンセット(これをヴィオヴィ先生は「新世代磁気ピンセット」と呼んでくれた)の奇跡的な発明が功を奏し、2006年6月20日Rad51蛋白質がDNAをねじる運動を世界で初めて観測することに成功した。その直後に、蛋白質が一分子ごとにDNAをねじる運動も観測された。ヴィオヴィ先生が「エレガントで美しい」と評してくれた実験手法と、その観察された現象のあまりの新規性に、その後しばらくは研究所外に情報が漏れないよう厳戒態勢が敷かれた。内部情報を知ることのできる物理化学部門では食事中の話題も、廊下の立ち話も、大学院生からノーベル賞受賞者まで、自分が作った実験系と実験成功の話題でもちきりだった。しかしそれもほんの数ヶ月の束の間、一流の世界では当然のことながら、しばらく経つとまるでこの仕事が完全に忘れられてしまったかのように誰も口にすることはなくなり、あとはひたすら論文にまとめるための実験に数年の歳月を費やしてしまった。何年にもわたる地味で複雑な作業の繰り返し、米国科学アカデミー紀要(PNAS)の審査過程の厳しさ、追加実験の困難さなどで主要プレイヤーである自分とジョバンニは、既にこの頃には疲れ果ててしまっていたようである。あるいは学術雑誌中の最高峰Science, Nature, PNASのどれかには採択されて当然の成果だと我々も周りも確信していたものだから、なお更不採択にはさせられないというプレッシャーがあったのかもしれない。
 採択の知らせを受けた当日、既に去ってしまった共同研究者や噂をきいた他グループのメンバーや大ボス、ヴィオヴィ先生がお祝いのメッセージを送ってくれたが、その時キュリーにいた当事者である自分とジョバンニはその日何度会っても一度もそのことを話題にすることなく、いつものようせかせかと仕事の話しかしなかった。以前は採択された時はみんなでシャンパンをと思っていたが、それどころではない忙しさやこの研究に対する疲れからか何の嬉しさもなく、我々はただ次の仕事のことで頭がいっぱいだった。大きな仕事を一つ終えた瞬間は、意外とこういうものかもしれない。それとも、少なくとも自分の中では2006年の時点で科学者としての独創的な営みは終わり、その後はひたすら論文を学術雑誌に採択させるための戦略遂行という研究者としての職務の遂行になってしまっていたのかもしれない。
 とにかく、ここを去る前に採択されてよかった。