2008年10月20日アルド・チッコリーニ@サル・プレイエル
ルクセンブルグ・フィルハーモニー管弦楽団と、老大家アルド・チッコリーニのピアノによるサン・サーンスピアノ協奏曲5番を聴く機会に恵まれた。以前も同ピアニストによる同じプログラムを聴いたことがあったが、今日は最前列の右側、ピアノのすぐ側で聴くことができた。ピアノの底から音が聞こえてくる席である。ピアノから離れた位置の座席に座ると、ホールに響いた音を聴くことになるが、ピアノにここまで近づくと、ピアノの音が直接きこえる。会場に響く音より、ピアニストが出している音や息遣いが直接、生々しく聴こえてきた。
この時のチッコリーニ氏の演奏は、同じ演奏会に同席した多くのピアニスト達が口をそろえて称賛した通り、老齢になっても衰えない見事なテクニックと、芸術の高みを極めたとも思われる境地に達した音色と構築された音楽が見事に融合した、希代の名演だった。全ての音がそれぞれ意味をもって語りながら物語が進行しているような、単なる演奏技術を超越したテクニックだった。フランス人ピアニストから連想される(もっとも彼はイタリア人であるが)色彩豊かな音色というより、骨董品のような趣のある音で、打弦楽器であるピアノからあんなに澄んだ、純粋でぬくもりのある音がでるのかと感動した。曲を聴くという感覚はもはやなく、彼の音が鳴っているその空間に浸り、彼の世界に身をゆだねているような感覚で聴きいっていた。彼が亡くなるまで一度でも多く、彼の生の音を聴けることを願う。
リフォームしたとはいえ、サル・プレイエルはサン・サーンスが十数歳でデビューして晩年まで頻繁に演奏していた会場である。お世話になった岩崎セツ子氏のデビューリサイタルも改装前のサル・プレイエルだった。そういうことを考えながら、サン・サーンスが生きている時に生まれたチッコリーニの音楽を聴いていると、彼のピアノを通じてその時代を垣間見ているかのような錯覚を受けた。まさに過ぎ去った時代を現在に伝える伝道者と呼ぶにふさわしい音楽家である。