2月22日~26日国際アマチュアピアノコンクール

2月22日~26日国際アマチュアピアノコンクール

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 毎年パリで開催されるアマチュアを対象とした国際コンクール。但しアマチュアの定義が日本とは異なり、「音大で学び、演奏活動をしていても、それで生計を立てていなければよい。」であり、音楽大学の卒業生で他の職に就いている人も多く参加していた。日本からは知人も多数出演しており、久しぶりの再会を喜んだ。毎晩世界中から集まった多国籍、異業種の出演者達と、ピアノという共通の話題を通じそれぞれの生活や文化的背景に触れることができ、世界が広がったような体験だった。

 1次予選の会場たまたま隣に座っていたご夫人と話しをしていたところ、ギャルドン先生の話になり、彼に習うきっかけは岩崎セツ子氏の紹介であったことを伝えると、「セツ子を知っているの!?」と。彼女は国立高等音楽院パリ校の名教師、ピエール・サンカンのクラスに在籍し、一緒に勉強した仲だというのだ。そのクラスには当時ギャルドン先生を含め、ジャン=フィリップ・コラール、ミシェル・ベロフ、ジャック・ルヴィエら、現在フランスのピアノ界の大御所が一同に会していた伝説のクラスである。でもその方はその後ピアノをやめてテニスのコーチとして過ごし、引退後またピアノを再開したそうだ。様々な人がそれぞれの人生の中それぞれの目的や生活スタイルでピアノを弾いている。そのご夫人はその場で手紙を書き、「これをセツ子に渡してくれ。」と頼まれた。しばらく帰国する予定がなかったので、岩崎セツ子氏に自分からも手紙を書き、パリから沖縄へ、彼女の手紙を郵送した。当時サンカン先生は痴呆が進行し、死の床についておられたそうで、残念ながら後日その訃報を聴くことになった。  
 その日の出演者で一番お上手だったのは中国系カナダ人男性で、前回のショパンコンクール(プロの部門)にカナダ代表で出場していたそうだ。日本でいうところのプロも多く参加していた。2次予選はソルボンヌ大講堂。ちなみにこの講堂で講演を許された最初の女性はキュリー夫人だったそうである。さらに、決勝はサル・ガヴォーで行われるという、とても華やかなコンクールである。また、決勝はフランスを代表するピアニスト達が審査員を勤め、過去にはアレクシス・ワイセンベルグ、アルド・チッコリーニら、今は亡き歴史的大ピアニスト達も審査員を務めたそうである。ギャルドン先生もよりによって今年だけ審査員をされていた。後で知人から聞いた話であるが、決勝のみ審査を務めたギャルドン先生が、(私は決勝に残っていなかったため)「ムッシュ・アラタはどうだったのか」とぼやいていたそうだ。
 ガラディナーでも様々な出演者や、審査員であるエリック・ハイドシェック氏やマルク・ラフォレ氏ら、しばしば日本にも来日公演を行う有名ピアニスト達と交流することができた。
 また後日、音楽雑誌の取材を受け、私のパリでの生活やピアノの話を伝えると同時に、日本の音楽業界の様々なお話を伺うことができた。