2009年9月9日キュリー病院

2009年9月9日キュリー病院

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 パリを去る日程がほぼ確定してきたこの頃、キュリー研では研究を引き継いでくれる予定の大学院生さんに、引継ぎを徐々に始めていった。私の発明した次世代磁気ピンセットシステム(FRMT)を使った研究をアメリカでも日本でも行う予定はなく、私が去っても、キュリー研のこの場所で、誰かに使ってもらい、更なる研究発展に寄与してもしいと切に願った。この研究の今後の発展は彼にかかっている。しっかりやって欲しいものだ。アメリカに移った時も、日本に戻った時も、年に1度は出張でキュリー研を訪れ、この装置が稼働しているのを見るたびに、とても誇らしく、かつ嬉しく思った。
 キュリー研(研究所と病院)職員による演奏会の時のCDを受け取りに、キュリー病院へ、演奏会主催者の一人であるコリーヌさんを訪問した。キュリー病院に入ったのは、1度目の訪問時に予防接種を打ちに行った依頼、3年半ぶりだった。コリーヌさんが、小児病棟で、がんに苦しむ子供たちを見て欲しかったらしく、彼らの可哀そうな病状を説明してくれた。ジョリオ=キュリー夫人も最後はこの病院に担ぎ込まれたらしい。
 晩は友達4人で、フランスで初めて映画館にいった。ジーアイジョー(G.I. Joe)は子供の頃ボストンで流行っていたのを覚えているが、原作とは余りにも違い、トランスフォーマーの実写映画に同じく、半分ギャグのように感じた。フランス語吹き替え版のアメリカ映画を初めてみたのも初めてだった。