2009年5月あまりにも美しいキュリー研の中庭

2009年5月あまりにも美しいキュリー研の中庭

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それぞれの季節、それぞれの表情を見せてくれるキュリー研の中庭。常に庭師による手入れがいき届いていて、キュリー夫人の時代から少しも変わっていない。テラスから柵に手をかけて、キュリー夫人がよく中庭をぼーっとみていたそうである。
 近所のリュクサンブール公園などの豪華な雰囲気とは異なり、このこじんまりとした中庭は、研究が情熱であり芸術であった時代から何一つ変わっていない。
 どの季節でも実験に疲れた時、この庭にくると、キュリー先生達の声を聞けるようなきがする。フレデリック・ジョリオ=キュリー先生曰く「(キュリー研など)伝統ある研究所で働く研究員の発言や思考には、過去の偉大な先人たち(キュリー夫妻ら)の思想・発想や知性が無意識のうちに顔をだす」そうだ。そのフレデリック・ジョリオ=キュリー先生も、戦前と戦後の研究現場の変化に大層危機感を感じていらっしゃったそうである。戦前は科学研究とは、貴い精神と知能を持つ者による芸術であったが、今では(戦後は)それらはどこにいってしまったのかと。いくらキュリー研であっても、その頃に比べ現在は、研究業界におけるグローバル化により、資金獲得や成果主義など、更に研究現場の大衆化、ビジネス化が進んでいるのだろう。キュリー一家が現状を見たらどう思われるだろうか。
 私もキュリー一家直径の研究者の端くれとして、キュリー夫妻、ジョリオ=キュリー夫妻らの思想や知性が伝染しているはずである同僚達との日頃の雑談から議論に至るまで、どの会話も大事に、とくに老教授達の発言は、科学研究が文化活動であった古きよき時代の消えゆく最後の面影として、聴き漏らさないよう、彼らの知性を浴びなければならない。