2009年2月8日Lagny国際コンクール
続く日曜は、パリ郊外に位置するラニー=シュル=マルヌ市(正確には小群)で開かれた国際コンクールに、モスクワ音楽院に留学中の友達が出演されるので応援にかけつけた。当初は早めに現地入りし、少し観光をしてからコンクールを聴こうと思っていたが、この日は早朝同僚とバスケットボールの日で、その後に疲れて仮眠をとってしまった。そのため、現地への到着が大幅に遅れてしまい、コンクールは最後の5人しか聴くことができなかったが、幸い友人の出番には間に合った。
このコンクールの審査委員にも、ギャルドン先生が名を連ねていたことを、出演する友人からの「新田さんの先生が審査委員にいらっしゃるみたいです」との連絡で前もってしっていた。フランスのみならず、主要国際コンクールのほぼすべての審査委員を経験されているといっても過言でないギャルドン先生であるが、審査員席に座っている見慣れた後ろ姿を見ていると、威厳とともに親しみが沸いてきた。そのギャルドン先生は、ある意味面倒見がよく、自身の生徒の結果について毎回かなり神経を使われる。
この日も、結果が発表されるまではピリピリしている様子が伝わってきたので、結果がでるまでは顔を合わせないように挨拶を避けていた。結果が発表された時、残念ながらモスクワから参加していた親友の入賞は見届けられなかったが、ギャルドン先生の生徒さんでもある友達のエリック・アルツ君が優勝した。これで先生のご機嫌は一気によくなり、こちらが気づく前に先生の方から「元気か?!」と声をかけてくれて、にこにこエリック君と歩いていった。
また会場から駅への帰り路、前年4月に沖縄のシュガーホールで、日仏交流150年記念演奏会に一緒に出演して沖縄観光にも案内した、ギャルドン先生門下のフランス人Jさんとばったり遭遇した。彼女もこのコンクールを受けていたらしい。帰りの電車でも、沖縄での思い出や、共通の友達の話で盛り上がった。数年後、鈴木隆太郎氏がロン=ティボー国際コンクールに出演した時の会場でも遭遇した。
この日も、結果が発表されるまではピリピリしている様子が伝わってきたので、結果がでるまでは顔を合わせないように挨拶を避けていた。結果が発表された時、残念ながらモスクワから参加していた親友の入賞は見届けられなかったが、ギャルドン先生の生徒さんでもある友達のエリック・アルツ君が優勝した。これで先生のご機嫌は一気によくなり、こちらが気づく前に先生の方から「元気か?!」と声をかけてくれて、にこにこエリック君と歩いていった。
また会場から駅への帰り路、前年4月に沖縄のシュガーホールで、日仏交流150年記念演奏会に一緒に出演して沖縄観光にも案内した、ギャルドン先生門下のフランス人Jさんとばったり遭遇した。彼女もこのコンクールを受けていたらしい。帰りの電車でも、沖縄での思い出や、共通の友達の話で盛り上がった。数年後、鈴木隆太郎氏がロン=ティボー国際コンクールに出演した時の会場でも遭遇した。