しばらくの間一緒に実験を行うことになった大学院生は、既述の超エリート校エコール・ノルマル・シュペリウル(高等師範学校)ENS卒であったが、何故かとても計算に弱かった。私が鉛筆や暗算で行う計算も、電卓を用いなければできな […]
この頃、パリの自宅で私は毎晩のようにキュリー夫人伝やキュリー一家にまつわる書籍を読み漁っていた。当時102歳という高齢でご存命であったキュリー夫人の次女、エーヴ・キュリー著の『キュリー夫人伝』や、キュリー夫妻の長女で、 […]
夕刻、研究所で公現祭の集いに参加した。おもちゃが入ったケーキ(ガレット・デ・ロワ)を集まったメンバーで切り分け、そのおもちゃが入った一切れをあてた者が冠を被るイベントである。持ち寄ったご馳走とともに、恒例のケーキを食べ […]
キュリー研究所の職員であった私は、キュリー研に併設されったキュリー病院でフランス居住のために義務づけられていたワクチン接種をした。このワクチンは、アジア系の人にはしばしば発熱の副作用を起こすものであり、その後急激に […]
その日、沖縄在住の世界的ピアニスト、岩崎セツ子氏から一通の電子メールが届いた。「ギャルドン先生にメールしなさい。私の方からも紹介しておきます」と。 私はこのメッセージの重みを全く理解していなかった。私は不遜にもこの時初 […]
早朝、ピアノレンタル業者に1900年頃に作られた四本足のプレイエルグランドピアノを紹介してもらった。一度廃業し、生産中止となる前の、ショパンが愛用していた昔の本物のプレイエル。長年貴族の家に保管されていたらしく、保存状 […]
17日はイングリット・フジコ・ヘミングのピアノリサイタル@サル・ガヴォー。サル・ガヴォーはこれまで歴史的なピアニスト達がこのホールで演奏している映像をDVDなどで見たことがあり、別世界のことのような存在であったので、私 […]
ヴィクトル・ユゴーの大ファンなので、数年前に訪れたユゴー記念館を再度訪れた。 午後は、以前からフレデリック・ジェフスキ氏から、パリに寄った際は是非会うようにと勧められていたミニマルミュージックの巨匠、現代音楽 […]