5月31日ジャック・モノー追悼セミナー@パスツール研究所:アルフレット・ブレンデル@シャトレ劇場

5月31日ジャック・モノー追悼セミナー@パスツール研究所:アルフレット・ブレンデル@シャトレ劇場

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 ルイ・パスツール、ピエール&マリー・キュリーと並びフランス科学史上最も重要な科学者に位置付けられるジャック・モノーの没後30 年を記念して、パスツール研究所内ジャック・モノー記念講堂で追悼セミナーが行われ、キュリー研究所の職員には招待案内が回ってきたので1年ぶりにパスツール研究所を訪れた。壁にはチェロを弾くモノーの写真があった。職務外活動の写真をこのような場所に掲げることが「不謹慎」とならないあたりも、フランスらしい。招待講演はDNA二重螺旋構造発見者のフランシス・クリックと共同でDNA暗号解析に携わったシドニー・ブレナー(後に別の研究でノーベル生医学賞受賞)や、モノーと共にノーベル賞を受賞したフランソワ・ジャコブら、モノーとパスツール研究所で研究をしたことのある錚々たる面々であった。ジャコブ博士はもはや歴史上の人物であり、まだご存命であったことすら知らなかった。まるでシーラカンスを見ているかのような感覚だった。ちょうど先日、シャンゼリゼ劇場の客席で、もはや歴史的作曲家の仲間入りを果たしているアンリ・デュティユーを目撃した時と同じ感覚だった。
  ブレナー博士は沖縄科学技術大学院大学(OIST)の初代学長に担ぎ上げられていたので、講演後挨拶をして少し議論を交わした後、自分が沖縄出身であることを話した。大学院大学の学長になるのかと伺ったところ、彼は「No! そんな気はない。ただ立ち上げ段階で助言をするだけで、それ以外何もする気はない。あとはすきにさせればいい。」と一蹴された。彼を学長として担ぎ上げる日本政府による公的発表からは予想すらできない発言である。ノーベル賞受賞者という肩書きがある人を学長に据えなければという事情は分からなくはないが、本人の意思とここまで異なる話がまかり通るのか。案の定、後日ブレナー博士が「学長を降りた」という噂を沖縄経由で知ることになった。またその後、再び学長に収まったという話も聞いた。

 晩はシャトレ劇場でアルフレット・ブレンデルのピアノリサイタル。彼のピアノを聴くのは最後になるだろう。