2009年7月14日独立記念日
パリで3度目の7月14日(独立記念日)を迎えた。午前中は友人達とシャンゼリゼ通りの軍事パレードで、装甲車や戦車のパレードを見学し、晩はエッフェル塔周辺での花火を観賞した。3度とも、ほぼ同じトロカデロ広場に場所をとり、エリゼ宮の後方から、エッフェル塔と共に花火を眺めながらワインを楽しんだ。この年はエッフェル塔120周年の特別花火だったようで、何となく頑張って華やかさを演出している感じがしたが、多少けばけばしい感じをうけ、日本の花火の美しさと品格、素晴らしさを改めて実感した。
7月14日を三度も経験するほどパリに長居してしまったことを考えると、やや焦りを感じてしまう。パリ滞在は、幾多の困難や負担を伴うと同時に、日本社会の現実からはかなり離れた世界である。私はしばしばこのことを、「パリはディズニーランドの現実版。それが現実になると、日本社会に戻れなくなる」と説明する。パリに滞在する日本人で、2,3年で帰国する人はその後日本社会に復帰できるが、それを超えて滞在していると、中途半端にフランス人化してしまい、帰国するタイミングを逃してしまい、日本社会に復帰が難しくなるといわれていた。私もこの頃滞在がちょうど2年を過ぎた頃で、早く仕事をひと段落させ、次のステップとして予定していたアメリカでの勤務に向け、ことを進めていくタイミングに差し掛かっていた。一方で、ここまで自分を惹きつけてしまったこのパリを去ることを思うと、さすがに寂しさも感じてしまう。
7月14日を三度も経験するほどパリに長居してしまったことを考えると、やや焦りを感じてしまう。パリ滞在は、幾多の困難や負担を伴うと同時に、日本社会の現実からはかなり離れた世界である。私はしばしばこのことを、「パリはディズニーランドの現実版。それが現実になると、日本社会に戻れなくなる」と説明する。パリに滞在する日本人で、2,3年で帰国する人はその後日本社会に復帰できるが、それを超えて滞在していると、中途半端にフランス人化してしまい、帰国するタイミングを逃してしまい、日本社会に復帰が難しくなるといわれていた。私もこの頃滞在がちょうど2年を過ぎた頃で、早く仕事をひと段落させ、次のステップとして予定していたアメリカでの勤務に向け、ことを進めていくタイミングに差し掛かっていた。一方で、ここまで自分を惹きつけてしまったこのパリを去ることを思うと、さすがに寂しさも感じてしまう。