2月28日~3月4日生物物理学会@ボストン ロンドン大英博物館で琉球国の遺品に遭遇

2月28日~3月4日生物物理学会@ボストン ロンドン大英博物館で琉球国の遺品に遭遇

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 今回の新大陸訪問の一番の要務であった米国生物物理学会年会のため、NYからボストンへ飛んだ。生物学分野の世界的権威、その次の座を狙う中堅、一旗揚げようと意気込む若手など、世界中から錚々たる面々が一斉に会するイベントである。同僚や競合相手の発表を聴講し、激励の言葉を送ったり、厳しい質問を投げてみたり、大変実りの多い学会だった。教授間の様々な人間関係、力関係や、政治闘争を目の当たりにすることもできた。研究者の世界も洋の東西を問わず、結局は分野内では縄張り争いで権威というものを確立し、対外的には人気商売である。学術界は、政治と自己アピールが苦手な者は、およそ生き残れる世界ではない。
 大阪大学から参加していた若手ホープの後輩と、ハーバードスクエア近くの、幼少時代家族と頻繁に訪れたUnoのピザ店で食事をしながら色々語り合い、彼の知識の広さと意欲的な姿勢に大きな刺激を受けた。また学会の合間に、幼少期お隣にお住まいだったHicks夫人と彼女の甥達とを訪問し、昔を懐かしがった。研究者になった後、学会や出張で数年に一度、ボストンを訪れる際は、かならずHicks夫人を訪れていた。私の家族の中で、頻繁にボストンを訪れるのは自分だけだったので、家族の近況を報告すると毎度自分の家族の話を聞くように喜んでくれた。
 帰国の途中ロンドンでトランジットの際、短い時間であったが、財務省から出向中の大学の同期の千家君と会う時間がとれ、日本、世界の金融業界について、色々と貴重な情報を仕入れることができた。リーマンショックからまだ日が浅かった当時、金融業界は様々な余波が残っていたようである。


 また、ほんの1時間程度であったが、大英博物館に入ることができ、25年ぶりにロゼッタストーンに再会した。昔はむき出しで展示されていたような記憶があったが、この時はしっかりとガラスケースでおおわれていた。アジアコーナーでは、日本の展示の隣に、朝鮮王朝、琉球国のコーナーがあり、他では見たことのない琉球製のお膳と漆器に初めてであった。

 沖縄にあった琉球国の遺産は先の大戦でことごとく消失してしまったため、琉球国のかつての繁栄を伝える文化遺産の多くは、日本本土や外国に散らばった物でしか目にすることができないものも少なくない。これらの世界中に散った琉球国の遺産を再調査してはどうかという旨の記事を、パリに戻った直後、琉球新報社に寄稿させて頂いた。