2008年7月21~28日ニース音楽アカデミー1週目

2008年7月21~28日ニース音楽アカデミー1週目

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 二度目のフランス滞在は、研究を進めるという本業の面でも、ピアノを学ぶと趣味の面でも、更には学会や観光でヨーロッパ中をより自由に行き来しできたという面においても、一度目の滞在に比べ、更に充実し、かつ様々な意味で、ワンランク高いレベルでの活動が可能になっていた。

 自由に使える研究費の額も多く、助けてくれる知人・友人もそれなりにいて、パリやフランス社会に慣れていたことも大きかったが、なによりもドクターの称号と、少しばかり使えるようになったフランス語を持っていた。殊にピアノに関しては、私の人生で最も練習をし、多くのレッスンを受け、音大のディプロムを取得し、一流のピアニスト達から学び、また彼らに学ぶ将来の世界的音楽家達と20代という多感な時期に親交を深めることができた。そんな音楽的にも充実した1年半に及んだ2度目の滞在においても、私のピアノにとっての最大のイベントは、やはりプロの面々に混ざって音楽を学ぶ夏の講習会だった。2度目の渡仏が決まり、その準備を東京で始めていた時に、既に2008年夏の講習会の申し込みが始まっていた。2006年の夏は、ニース音楽院の講習会に参加したため、当初は別の講習会に参加しようと思い、キュリー一家の別荘もあったリゾート地クールシュベルで行われる講習会に参加する予定だった。一旦申し込みはしたが、ギャルドン先生を通さずに申し込んだため、主催者であるパスカル・ドヴァイオン先生から、ギャルドン先生のクラスはもう一杯だと返事が返ってきた。ギャルドン先生に頼み込む手もあったが、先生と電子メールでやりとりしている中、先生からニースに来るようにとおっしゃったため、この夏もニースの講習会に参加することになったのである。クールシュヴェルの講習会に参加していれば、それなりの学び、経験と出会いがあったのであろうが、ニースでのそれらがあまりにも濃密、刺激的であり、ある意味衝撃的でもあったことを思うと、この年ニースに行ったことは、その後のパリ生活と残り少なかったピアノ人生に計り知れない影響を与えることになった。
 2年前に参加した時は、もう来ることはないと思っていた国立地方音楽院ニース校(CNR)は、その前年に新しく立派な校舎と寮が完成しており、今回はそこで参加した訳であるが、2年前に滞在した伝統的な建築と古き良きフランスの雰囲気を醸し出し、ギャルドン先生やガブリエル・タッキーノ先生が学んだ旧校舎とキャンパスが懐かしく感じられた。1週目はオリヴィエ・ギャルドン先生のクラス、2週目はアメリカで最も成功したフランス人ピアニスト、フィリップ・アントルモン先生のクラスに参加した。振り返るとキツイ1週目と恐怖の2週目とでも言うべき講習会となった。
 1週目、ギャルドン先生のクラスはほとんどがパリで彼に習う生徒達だった。特に日本人から絶大な信頼と人気を誇る彼のクラスには、定員の何倍もの応募が殺到するらしい。その中から名前と師事する先生の情報だけで、数名の生徒を選ぶのである。先生としても、どうしてもご自分の生徒と、ビッグネーム(世界的に有名なピアニスト)の生徒から選ばざるを得ないのであろう。このクラスの生徒さんで、パリで彼に習う生徒でなかったのは、フランス語とピアノが上手でこの秋からハーバード大学に進学するアメリカ人女子高生と、ミュンヘンでゲルハルト・オピッツに学ぶ日本人ピアニストさんだった。彼女らプロの中に交じって受講することは、慣れてはいたものの、かなりのプレッシャーがあった。レッスン自体は、パリで受けるいつものレッスンであったが、この頃パリに引っ越しをしたばかりで、しばらく練習が滞っていて、ニースについてから練習を再開しようなどと甘い考えをしていたので、案の定、これまで受けたレッスンの中でも、最も準備不足で、先生もきっとあきれられていたであろう。私の出来はともかくとして、Salle Fauré(フォーレの部屋)で行われた先生のレッスンは、相変わらず様々な面でバランスが取れているレッスンで、本質的な問題点を見抜き、解決法の解りやすく説明する技量は神がかっていた。特にモーツァルトのピアノソナタを見て頂いたレッスンでは、先生自らが「(練習にとって)曲はとてもいいぞ」とおっしゃり、絶好調でレッスンをして頂いた。その中で、多様なアーティキュレーションや音色の出し方、ピアニスティックなことから楽譜の基礎的な読み方や音楽的解釈のミソを教えて頂き、音楽とピアノ演奏の基礎の学びが凝縮されたレッスンとなり、50分間が一瞬で終わってしまったような感覚にとらわれた。このようなレッスンを幼少期から受けていれば誰でも一流の演奏技巧を手に入れることができる、というと言いすぎだろうが、そう思ってしまうようなレッスンだった。3日目からはパリで既に友達になっていた韓国人の門下生が合流した。自分のピアノの関しては、準備不足でかなりピンチだと認識していたため、レッスンと食事以外の時間はひたすら練習していたが、レッスンと練習の合間を縫って、この週はフセイン・セルメや、ブルーノ・リグット、ビリー・エイディー先生ら、二週目はクライネフやイヴ・アンリ、ゲツケら、高名なピアニストを中心に、他クラスのレッスンも聴講した。
 27日の晩は講師演奏会で、リグット先生がグリーグのピアノ協奏曲を弾かれたのを、ギャルドンクラス、リグットクラスの日本人を中心に、会場となった丘の上の修道院に聴きに行った。その日聞いた話によれば、リグット先生は、この演奏家の直前まで違う曲目を間違って知らされていたらしく、この日は十分に練習もできず、ご機嫌斜めのまま演奏されていたそうだる。グリーグのピアノ協奏曲の演奏からは、その状況と先生のご機嫌が演奏から伝わってきた。一方で、アンコールで弾かれたショパンのワルツは、神が降りてきたかのように美しく、2年前にこの会場でリグット先生のピアノを聴いた時の、彼のピアノの音色の美しさに感動した時と同じような刺激を受けた。ギャルドン先生もスーツ姿で奥様と会場にいらしていて、リグッド先生に賛辞を送っていた。
 2週間滞在したニースで、多くの刺激的な若い音楽家達と親交を結ぶことができたが、とりわけその後の長きにわたりお互いに刺激を受けあう仲となった、二人の日本人ピアニストとの出会いは、私の人生にとって大きな宝となった。まだ十代の男の子であった彼らとは、2週目のアントルモン先生のクラスで生徒として一緒に参加したわけであるが、日本屈指の進学校を卒業したばかりの秀才でありながら、フランス国立高等音楽院パリ校ピアノ科のリグット先生のクラスへの入学が決まっていた鈴木隆太郎君とは、ニースに到着した初日、ニース市内のから音楽院の寮に向かうバスの中でたまたま一緒になった。進学校出身という共通点、女性が大半を占める参加者の中の数少ない男子ということもあり、すぐに打ち解け、寮の部屋も隣で、2週間に渡り練習とレッスン以外の時間のほとんどを一緒に過ごした。一方で、既に世界を股にかけた演奏活動を行っていた戸室玄君は、アントルモン先生の招きでパリに移住し、アントルモン先生に公私に渡りお世話になっていたようで、まるで先生の秘書兼通訳のような立ち位置で本講習会に参加していた。日本語、英語、フランス語を流暢に操り、育ちの良さから来るウィットにとんだ話術で、アントルモン先生の秘話など、面白おかしく我々に話してくれた。講習会が終わった後も、同じタイミングでパリでの生活を始めた我々三人は、パリでも時折三人で集まり、性格も生い立ちも才能も全く異なるが、奇才という点ではおそらく共通していた3人の個性をぶつけ合い、お互い刺激を受けあい、成長の糧にしていったと思う。