10月11日~15日”Pas de Cinq”沖縄公演
この年、琉球移民を先祖に持つ世界の外国人が、5年に一度の頻度で沖縄県に集まるイベントである、世界ウチナーンチュ大会が開催され、在仏沖縄県人会主催によるピアノコンサートに出演することになっていた。ピアノを学びにフランスに留学していた、もしくは留学中のピアニスト4人に、パリ在住で、趣味でピアノを学んでいた私を含めた5人による沖縄公演。ソウル、東京を経由して沖縄についた日はさすがに疲労困憊し、一旦実家で数時間休み、晩は知人の練習室を借りて、翌日の昼夜2回の公園に向けて、ピアノの練習をした。
13日本番当日、朝早めに会場であるテンブスホールに向かった。それまで沖縄各地のホールでピアノを弾いてきたが、新設されたこのホールでの演奏は初めてであり、ピアノの具合やホールの音も響きを知らなかったため、ピアノと会場に短時間で馴染めるか多少の不安があった。午前中少しだけリハーサルをさせてもらう時間があったが、すぐに午後の部が始まった。昼の部と夜の部、一日で2回公演を経験したのは初めてで、それぞれの部で前半と後半ともに出演したので、計4回出演することになった。その間ずっと本番モードのテンションを維持したままでいるのが大変な負担で、そのため相当な体力を消耗した。また、十分な練習と環境になれる時間が取れなかったためテクニックは乱れ、郷里での大切なイベントにもかかわらず、かなり不満の残る演奏となってしまった。
終演後、岩崎セツ子氏からビズ(ヨーロッパ圏で良く行われる頬っぺたを合わせてチュッと音を出す慣習)を頂き、テクニックがボロボロだったにも関わらず、小生のピアノについて、「フランスにいってからびっくりするほど品がよくなった」と嬉しいお言葉を頂いた。この後、パリでギャルドン先生からも、同じお言葉を受けることになった。終演後の晩、一仕事終えた気分にまかせ、首里城周辺の散歩に出かけた。
演奏会の翌朝、旅行かばんをもったまま首里城で行われていた琉球舞踊公演を鑑賞し、宜野湾市コンベンションセンターでの閉会式に出席し、その足で那覇空港へ向かい、東京経由でパリに帰った。かなりの強行スケジュールで疲労もたまり、沖縄の聴衆に聴いて頂いた演奏自体は不満の残るものとなったが、このイベントに参加し、地元の観衆の前に姿を見せることは、少年期から故郷を離れ、常に遠くから沖縄を眺めていた私にとって、それだけ重要なことだった。