8月7日パスカル・ロジェ初レッスン

8月7日パスカル・ロジェ初レッスン

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 趣味としてピアノを弾いてきた私にとって、音楽大学生や卒業生の中でもかなり上位レベルの音楽家達に交じって講習を受ける事自体挑戦だった。昔からCDで聴き慣れている程の有名ピアニストのクラスで学ぶとなれば、それなりの心の準備も必要であり、初日を迎える頃はかなり緊張していた。これまでCDのジャケットで見慣れていた顔のロジェ先生が、音楽院の入り口に、ニースを歩いている他の一般人達と同じようなラフな格好、短パンにリュックサック、サングラス姿で突然現れた時、とっさに口から出た挨拶は英語だった。彼はフランス人であるが、アメリカでの活動が多く、英語も達者だ。このクラスを通じては、私に限ってはフランス語か英語で、おそらくその日その時の先生と私の間の雰囲気でいずれかの言語でレッスンが行われた。それ以外の雑談や他の日本人の生徒さんらへの通訳をする時は英語を使ってコミュニケーションをとった。
 この日、午後一番に自分の初回レッスンが回ってきたため、午前中、昼休みと練習室で聴いてもらうべく楽曲を念入りに読み直し、確認、練習をした。昼休み、音楽院の入口で座っていると、突然ギャルドン先生が入ってきた。彼の実家はニースで、少年期、パリ音楽院に入学するまでこの音楽院に通っていたそうだ。彼が幼少の頃、ハンガリーの名ピアニスト、リリー・クラウスが演奏旅行の際彼の実家に宿泊し、彼の母親がクラウスのステージ用ドレスにアイロンをかけていたと、後日ご自分で回想していた。そのリリー・クラウスに認められてピアニストへの道に進んだらしい。彼は次の週にクラスを持っていたが、翌日講師演奏会でモーツァルトのピアノ協奏曲を弾くことになっていた。バカンスを兼ねて、早めに帰省していたのだろう。どちらの先生も私にとっては緊張なしには話せない権威であるが、ロジェ先生のレッスン直前で緊張していたため、ギャルドン先生へのご挨拶をするタイミングを逃してしまった。
 ロジェ先生の初レッスン。パリに住んでいること、科学者であり、ピアノは本業ではないことなど、軽く自己紹介をした。ギャルドン先生に習っていることを伝えたところ、「おお、オリヴィエのことはよく知っている」と。ギャルドン先生の生徒さんが優勝を勝ち取った2004年ロン・ティボー国際コンクールピアノ部門で、ロジェ先生とギャルドン先生は共にフランス側の審査委員を勤めた仲である。そもそも、彼らもシャンタル・リュウ先生も、フランスで一流の音楽家は皆パリ国立高等音楽院の仲間であり、互いに密なコミュニティで一生を過ごすので、互いに知らないということはまずありえないのである。この日は、ドビュッシーとサン・サーンスの小品複数を見て頂いた。ドビュッシーでは、「やるべきことはやっているが、動きと自由が足りない」とコメントを頂いた。基本を完全にマスターした一流の演奏家が磨かれた感性で自由度の高い演奏を行えば、味のある演奏になるのかもしれないが、そうでない者が自由に弾こうとすれば、大抵は演奏の形が崩れるだけになってしまう。レッスンを通じ、ピアノ演奏には常に「光」と「動き」が必要であると何度も述べられていた。色彩感のある音色と、自由なルバートのことだろう。基本を徹底的に教えてこまれるギャルドン先生のレッスンに比べ、マスターコースであることもあり、基本よりはむしろ演奏に味付けをするためのコメントを多く頂いた。このクラスでのレッスン、他の生徒のレッスンの聴講、また先生との会話を通して、彼の音楽、価値観から最大限学べるものを自分なりに学び、彼から得たものを、何とか自分の演奏に反映し、その過程で感性を磨き、世界観を広げられるよう必死に努力を続けた。