5月30日ヴィオヴィ論「芸術と科学」

5月30日ヴィオヴィ論「芸術と科学」

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 この日は久しぶりに研究室主催者である大ボスのヴィオヴィ先生とランチをとり、その後キュリー研のキャンティン(カフェ)でコーヒーを飲みながら、私が取り組んでいる研究プロジェクトの進捗状況と今後のビジョンについて議論を交わした。まだ目に見える成果が出ていないため、また私の帰国が数か月後に迫っているため、そろそろ大学院生のピエール君にプロジェクトの引継ぎを初めてはどうかという話をされた。ちょっと悔しい話しではあるが、滞在を延期することは東大側から認められるとは思えず、一旦東京に帰った後、再度パリに戻ってくるためには2年近く拘束されるであろうことを考えると、仕方のない事なのかもしれない。ビッグボスによくある話しではあるが、彼はこのプロジェクトはすぐに結果が出て終わると思っていたらしい。どこまでの結果を期待して、どの程度で終える予定だったのであろうか。その後、誰も予想だにしなかった成功をおさめた事を考えると、今となってはどうでもよいことである。
 その日の会話で、先生の奥様が画家であるという話を聞いた際、先生が「芸術は評価が主観的でかつ他人によってなされるので、芸術を生業とすれば、自分の仕事は死後にしか認められない可能性だってある。一方で、科学は評価が客観的で、ある程度はcriteria(判断基準)があるので、科学を生業とする方が、自分が生きている間に成功することを望む場合、効率的な選択肢なのかもしれない。」と、知的な文化人らしい発言をされた。私も全く同感である。ここでは深い洞察と高い教養が尊重されるのと対照的に、日本の研究者の間では研究馬鹿であることが良しとされ、思考よりも知識が重んじられる傾向にあるのかもしれない。
  帰宅途中、ノートルダム寺院でパイプオルガンの演奏を聴いた。