晩に予定がある日に限って実験が上手く回り、切り上げられなくなるものである。これ以上続けても効率が上がらないと判断した時点で切り上げた。ここでは長時間労働自体が価値基準とはならないどころか、長時間労働は「無能の証」として認識されるのである。私はこの頃から、最も効率的に成果を挙げる働き方について、多くの日本人のように罪悪感を感じることがなくなっていた。
予定より少し遅れてシャトレ劇場に到着した。ユンディ・リ氏の演奏を生で聴いたのは初めてだった。耳の超えているフランスの聴衆からの評判はいまいちだったらしく、客席もガラガラだった。シューマン作曲の「謝肉祭」でも、音を外すリスクの高い「パガニーニ」だけを省略して演奏したりしていた。