7月30日(日)

7月30日(日)

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 良い成果を出し、区切りのいいところで仕事おさめをし、人生で初めてのフランスでのバカンスを満喫するため、休日出勤で実験を進めていた。この日は日曜であったが、午前中から実験を始め、昼過ぎに実験に適したと思われるDNAが見つかり、Rad51タンパク質を追加し、蛋白質によるDNAのねじり運動観察が軌道にのり、たて続けにいいデータがとれていた。そのため、実験を止める訳にはいかず、終電ギリギリまでねばって実験を続けた。バカンス明けに詳しい解析をしてから証明されたことであるが、この時の実験で、このタンパク質がDNAをねじる際、まさにタンパク質の分子1つがDNAをねじる動きが、磁気ビーズのステップ状の回転運動から観察されていた。タンパク質一分子の動きを見ることができたという新たな実験的成功と、また一分子ごとのねじる角度を世界で初めて計測できたことに、深夜帰宅後も興奮していて、朝7時まで全く眠ることができなかった。

 翌日ヴィオヴィ先生とのディスカッションでは、この一分子による動きを計測できたことについては、まだデータとしての根拠が不十分であったこともあり、強く主張はせず可能性を示唆するにとどめ、期待を持たせる形で打ち合わせを済ませ、気兼ねなくバカンスに入る準備を整えることができた。
 この月は、キュリー研の至る所でイレーヌ・ジョリオ=キュリーの写真を展示している。メモリアルデイでもあったのか。キュリー夫妻の長女として、研究者という家業を継いだ彼女は、少女時代から晩年まで、どの写真をみても一貫して深刻、又は怒ったような怖い顔をしている。一方で、キュリー一家で一人だけ研究の道に進まなかった次女のエーヴは、家族で一人だけノーベル賞もらわなかった人物となったが、笑顔の美人、歴史的人物の娘、ノーベル平和賞を受賞した組織の長の妻、母の伝記を書いてベストセラーとなった作家、母のアメリカツアーの付き添いをしたジャーナリストとして、欲しい物全てを手に入れたかのような人生を送り、当時ニューヨークの豪邸で102才、放射線を浴びて白血病で早死にした姉の寿命の二倍を超える長寿を得、まだまだ健在だった。どちらが幸せな人生なのだろうか。エーヴは「キュリー夫人伝」の中で、自分だけ研究者の道に進まなかったことに対し、少なからずコンプレックスを持っていた雰囲気を醸し出していることを感じた。自分が長生きしたことは、放射能研究から逃げたことの裏返しだとも述べている。もしこれら2つの人生を選ぶことができたとしたら、凡人である私なら間違いなく後者を選ぶだろう。