2009年5月9日Georges Cziffra@Senlis

2009年5月9日Georges Cziffra@Senlis

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パリ郊外のサンリス(Senlis)を訪れた。前回訪れてから約3年が経っていた(2006年6月17日の項参照)。前回訪問時には、時間に遅れてシフラ一家のお墓参りができなくて心残りだったのが、今回実現した。今回は時間に余裕を持って訪れ、その帰り、シャンティイ城とその周辺散策をする時間もとれた。3年前と同じ北駅のカフェで電車をまち、同じ電車でシャンティイまで行き、同じバスで前回同様、菜の花畑を通ってサンリスへ向かった。3年前と同じ観光案内所により、大聖堂を見学し、シフラ財団(Fondation Cziffra)が運営する教会へ。3年前と唯一の違いで、とても残念だったことに、受付の老女が、別の方に変わっていた。奥様は2006年頃に亡くなられたそうだ。
 シフラ財団が拠点としているこの教会は、その前は長年にわたり荒れ果て、自動車修理場、兼駐車場として使われている有様であったそうだ。しかし、建物を修復しつつ進められた考古学的調査の結果、この教会がフランス王ユーグ・カペーの妻によって建てられた、フランス最古のカトリック教会Royal Chapel of Saint-Frambourg教会であることが判明したそうだ。現在ではフランツ・リスト・オーディトリウムとして、コンサート会場として使用されている。
 既述(2009年04月22日「死の舞踏」@ピサ)の通り、ピアノ協奏曲の意味も分からず、「ピアノ」という文字だけで生まれて初めて買ったCDに書いてあった「シフラ」がピアニストの名前だとわかったのは高校生の頃だった。その後少しずつピアノを弾き出した縁でパリでもピアノを続けて、2回目の訪問にしてようやくこの日、シフラ一家のお墓参りをすることができた。幼少期から私のピアノにとってこれだけ影響を与えたピアニストは、直接指導を受けた先生方を覗けば、おそらく他にいないだろう。その人物のお墓参りが実現し、長年会いたかった人物に面会が叶ったような、そんな妙な充実感を得た。
 帰りはシャンティーに寄より、シャンティー城を見学した。大公の居城だっただけあり、かなり豪華で威厳に満ちていた。シャンティー市の名物、クリームクレープ(Crêpe Chantille)を食べて、パリに帰った。ホイップクリームのことを、パリでも「シャンティー」と呼ぶ。